フィリピンに日本人観光客が増え始めたのは1975年頃からです。日本は世界二位の経済大国になり、世界中で日本製品を売りまくっていましたので、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
飛ぶ鳥を落とす勢いの日本人の所得は右肩上がりになると、東南アジアへの観光ツアーが繁盛しました。もちろん、韓国、台湾もツアーの中に含まれています。
当時の韓国、台湾、東南アジアへのツアーと言えば、アイタタ親父たちが鼻の下を精一杯伸ばし他ツアーなのは言うまでもありません。今の中国人が団体で東南アジアを観光しているのと同じです。
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成り上がった日本人はフィリピンでやりたい放題
マニラには沢山の夜の店がありますが、これは日本でも他の国でも同じです。いつの時代も男たちは女性を求めて徘徊します。
1979年の5月にマニラで起きた事件は、当時の日本人が「どれほど金を持っている屑な人種」かを露呈してしまいました。
カシオ計算機の招待客の200人がマニラに到着した晩に、ホテルで集団お見合いが開催されました。
1979年5月26日の読売新聞の記事によりますと、24日の午後7時過ぎにカシオ計算機が招待したお客189人が、大阪と東京から相次いでマニラ入りしました。
エルミタにあるラマダホテルにチェックインし、2階の中国料理店ロタスルームで夜10時まで食事をしました。その後、隣室との間にあるスクリーンが開けられると、待機していたフィリピーナ達とご対面をします。
カシオ計算機が招待したお客の中には日本人女性も含まれていました。男性の中にはこういったことを嫌悪する人もいたり、尻込みをする人も当然いました。
そんな中、100人ほどの日本人男性がフィリピーナと「お見合い?」をしました。このツアーを企画したのは近畿日本ツーリストでした。
有名企業が招待する客達が有名企業が企画するツアーに参加したのですが、今であれば会社が倒産するほどバッシングされるツアーです。しかし当時の日本はまだまだ緩かったのです。
フィリピン側からずれば「日本人は恐ろしく金を持っている」と注目され、日本側からすれば大バッシングな出来事でした。
ツアーはこれだけではありません。フィリピン、タイ、韓国、中国、台湾といろんなツアーが企画され、多くのイタイ日本人親父たちがこぞって参加していました。
そして1980年の朝日新聞に「マニラ醜悪ツアーの実態」として、デカデカと報道されました。「フィリピンのマニラを訪れる=恥ずべき行為」と多くの日本人が認識しました。
台湾や韓国を訪れるのも当時は恥ずべき行為として認識されていましたが、韓国と台湾は夜の歓楽街を徹底して潰して国のイメージを変えました。
今では日本女性がたくさん訪れるツアー先になっています。もちろん夜の街が完全に無くなることはありません。そこそこ繁盛していますが、国のイメージを変えたのは正解でした。
東南アジアの歓楽街といえば、フィリピンとタイが有名です。特にタイは世界中からイタイ親父をフィリピンよりも呼び寄せています。大事な国の収入源になっているのは間違いありません。
大手のツアー会社による東南アジアツアーはバッシングによって無くなりました。しかし中小のツアー会社による東南アジアツアーは健在でした。多くの日本人がツアーに参加していました。
そんな中小のツアー会社も各新聞社はバッシングしましたが、ツアーの広告掲載は受けていました。バッシング記事の裏面には中小のツアー会社による記事が満載です。
マスコミのダブルスタンダードの典型です。批判しながらも広告は出稿させるわけですから、いかにマスコミが信用に値しない企業なのかは言うまでもありません。
続く
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